カンボジアでのそれからと現在

一緒に住んでいる旧ソビエトコミュニティ(全員がロシア語を話すという共通点)のお話をすると言っていた前回から随分時間が経ちました。やはり一度筆を置いてしまうと怠けてしまうというのが大きいのですが、他にも色々と思うところもありました。
まずカンボジアナビというポータルサイトの運営に注力しており、情報などもそちらで発信していたのが、コラムの更新が遠のいていた理由の一つです。
またこのロシアコミュニティに引き入れてくれたベラルーシ人のサーシャという友人の影響もあります。このコミュニティでは同じ一軒の家を一人US100$ずつほどでシェアしています。仕事もツアーガイドをしているものや退職後をこっちで過ごす老夫婦など様々です。
朝起きて、お互いの部屋をノックし合って一緒に近くの食堂に向かって朝ご飯を食べる。一緒に昼の練習をして、練習帰りにまた一緒に夜ごはんを食べて、週末はみんなで飲みに行く。という繰り返しなので、必然的に仲良くなります。
ウォッカも一番好きなお酒になりました。笑
どれだけあの頃一緒にいたかというエピソードで今でもよく二人の笑い種になるのですが、当時彼が関係を持っていたロシア人の女性が同じ家に住んでおり、ある日私たちのことをゲイだと言い出し、ヤキモチを妬いて怒り出してルームシェアを解除し、荷物をまとめてタイに移住したのです。
後日談ですが、それから半年後みんなでバーで飲んでいると、一人がトイレから帰ってくるなり、「あの女がタイから帰ってきているぞ、さっきトイレで会った!」と言い出し、「ゲイの彼氏のアキを殺しに帰ってきたに違いない」などと言い、はしゃいでいたのもいい思い出です。
ある週末に彼とバーで飲んでいると、彼が自分の半生を語ってくれました。彼はもともと自国ベラルーシで会社員として毎日忙しく働いていたようですが、どこかでこんな生活を本当に自分はしたかったのかということを考えるようになり、27歳の時に真剣にキックボクシングをやろうと、カンボジアの隣国タイに出てきたようです。
そして生活コストもより安く、もう少し自由な雰囲気のあるカンボジアにタイから移ってきたようで、仕事はオンラインポーカーをしながら生計を立てています。
ある日彼がCTNというテレビ局の開く試合に出るというので、観に行きました。結果は彼が試合に勝ったのですが、リング上で高々と腕をあげているルームメイトの姿はかっこよくて、ある日の彼の言葉を思い出しました。
「俺はベラルーシにいる時プロのポーカーの選手になりたい、キックボクシングで有名になりたいと思っていた。今俺が街を歩いていると出会うカンボジア人が俺に次の試合はいつだ?と話しかけてくる。あの時抱いていた夢はカンボジアでいま叶っているんだ。LIFE IS GREAT.」
そもそも最初から指導ライセンスを取るためにカンボジアに来て、またこちらでもポータルサイトを運営したり、このようなコラムを寄稿しているように、格闘家としてリングでどうこうとかいうよりも、最初からビジネスとして考えていたところが大きかったのですが、そんなストレートな姿を見ていると自分の中にも色々と思うところが出てきました。
この頃に自分が感じていた感情を言語にすることが非常に難しかったのですが、帰国後にノンフィクション作家で探検家である角幡唯介さんの 『表現は常に純粋な行為を侵食しようとする』 という言葉を聞いたときに、まさに当時自分が感じていた事を言い得てくれているようで、大きな衝撃を受けました。
その流れの中で、同じく作家の沢木耕太郎さんの『有名無名、顔が知られているとかいないとかの問題ではない。「物書き」には、当たり前の旅行者が持っている、旅そのものが持っている、旅そのものが目的というところからくる切実さが欠けているのだ』という言葉も紹介されていました。
その後色々なタイミングが重なり、私もCTNが主催するプロの試合に出ることになりました。試合に出ることが決まった時に、上記の言葉を借りると、このようにコラムを寄稿することで「格闘技そのものが持っている、格闘技そのものが目的というところからくる切実さ」を侵食したくないという思いがあったのかもしれません。こんな格好のいい言葉をその当時の私は持ち合わせていませんでしたが、ルームメイトの格闘技に対する切実な生き方が自分に影響したことは確かで、気付けばコラムの更新から遠ざかっていました。
結果として試合に負けてしまい、練習に毎日付き合ってくれていたAngkor Fight Clubのみんな、試合を観に来てくれた多くの人に申し訳ない不甲斐ない試合でした。初めてのプロのリングでゲームをどう進めていいかが分からなかったのを覚えています。試合前は絶対に勝てると思っていたので、その悔しさは今でもありますし、試合が終わって何日かは寝ようと目をつぶると試合相手の顔が浮かんできました。
その後日本に帰ってきましたが、一番思い出深いのは試合の少し前に毎日の練習の疲れが溜まっていたのかサーシャとのスパーリングですぐに倒れてしまったところ、彼が激怒しました。「もう練習はやめだ。そんなことで試合に出られると思っているのか、明日まで本当に試合に出場するか家で考えてこい」と。
もちろん次の日に彼とはきちんと話をして練習を続け、試合の日を迎えました。試合が終わって負けたものの、ジムのみんなが打ち上げを開いていくれるというのでレストランに行くと、満面の笑みで彼が私にハグしながら「試合前は俺とお前はコーチと選手で厳しいことも言った、お前がやられる所を見たくなかったんだ。でも試合が終わって元通りの兄弟だ。さぁ、飲もう。」
その時は試合に負けた申し訳ない気持ちもあって、泣きそうになったのを覚えています。
またこの試合が終わって半年後くらいに久しぶりにカンボジアを訪れた際に、プロの試合に出るのに所属していたジムAngkor Fight Clubも生徒の数が増えて、大きくなっていました。その日も10人以上の生徒が習いに来ていた中で、みんなに私のことを「ここから最初にプロのリングに出た選手だ」と紹介してくれました。そのまま練習終わりにあの頃と同じように飲みに行き、あの頃と同じ冗談を飛ばし、不思議な気持ちになりました。
「いつ日本に帰るのか?」という話の中で、「明後日には帰る」と伝えると、「不思議な気分だ、あの頃は毎日お前がいたのに」と彼らも同じ気持ちを共有してくれていたのを感じて嬉しくもなり、寂しくもなりました。
話を戻しますが、最初の目的だった指導ライセンスも無事に取れて、次の日のカンボジア最大手新聞プノンペンポストの朝刊には「日本人初の国際指導ライセンス保持者誕生」とカラー写真と名前が一面に載りました。(名前のスペルは間違っていたのがさすがカンボジア最大手新聞です)
現在はカンボジアや東南アジアで活躍するキックボクサーを選手として日本の興行に招聘したり、トレーナーとして日本のジムに派遣したりもしながらカンボジアの格闘技に関わっています。
国の機関による日本とカンボジアの交流イベントなどにボッカタオの選手の派遣に関わることもあります。
日本でも選手が格闘技を仕事にして、経済的に豊かになれる人は数少ないと思いますが、カンボジアではその傾向も顕著です。日本にトレーナーとして招聘した彼らに聞くと給料がUS300$(約3万円)を超えるものはいませんでした。
そんな彼らが今は日本で働いています、しかも彼らが誇りに思う自国の伝統文化のキックボクシングで職を得ています。
今までのカンボジアの歴史上でキックボクサーとして日本に渡ることが出来たのはこれが初めてですので、税関とのやり取りは困難を極めましたが、こうやって彼らの橋渡しになっている自分の事業を今は誇りに思っています。
またカンボジアナビというポータルサイトでも、こちらで事業をされたいという方のアテンドや法人設立の支援・代行の依頼を受けることも増えてきています。
最初に会社員を辞めてカンボジアに格闘技をしに行くと言ったとき、ほとんどの人がそんなことは形になるはずがないと言いました。
でも最初は誰一人知り合いもいない中で渡ってきたカンボジアだからこそ、自分でも驚くほどにオープンマインドで人と接することで多くの日本人や外国人たちと仲良くなることが出来て、その中で互いの人生を交換し、多くのことを学びました。
人生では同時に二つのことを選べないなら、私は現在の人生を選んでよかったと思っています。
このコラムは全てを振り返って一から書いた訳ではなくて、最初の寄稿はカンボジアに来る前の自分が書きました。
最初に描いていた未来が全て叶っているかというと分からないですが、少なくともこの時に書いていたカンボジアの選手を日本のリングに送り込むということは成し遂げました。
カンボジアに渡る前は何かのきっかけでカンボジアのTV局に特集されてカンボジアの国民スターになることもあるんじゃないかとか真剣に思っていたこともありました。現実にはそんな気配は全くなかったですが、運良く朝刊の一面を飾ることが出来ましたし、最近ではNHKで特集を組みたいということでディレクターの方との打ち合わせもありました。(結局現在私がカンボジアに住んでいないことで話も膨らみづらく、企画は流れましたが)
何か望むことがあっても、行動しないことには引き寄せる可能性はゼロだと思います。
もちろん結果として望んだものを引き寄せることもありますし、引き寄せられないこともあります、何年後か忘れた頃に引き寄せることの方が多いような気がします。
ひとつ確かなことは行動することで、ゼロよりかは少しでも大きな可能性が生まれるということではないでしょうか。
何が起きて、何が起こらないかなんて私たちには分からない以上は、ゼロではない何かを信じて、夢を描いていくしか道はないんじゃないかなと色々と振り返っても思います。
私は日本にいるときにこの開国ジャパンに寄稿された文章を通して、広がる世界におおいに刺激を受けました。その後こちらにコラムを寄稿させて頂くことになり、これがきっかけで仕事につながったこともありました。
ですのできちんとコラムを完結させて恩返しとまで言わなくとも、中途半端のままではいけないなという思いがずっとあり、今回カンボジアでの活動の総括も含め長々と筆をとらせてもらいました。
カンボジアにいない状況で私がこのコラムを更新し続けるのも本意ではないので、更新することはあまりないと思いますが、何かまた大きな動きがあればこちらでご報告させて頂きます。(この3月に参議院議院のアントニオ猪木氏がカンボジア・オリンピック親善大使に就任し、国技であるボッカタオを日本に広めたいと語っているので、その日は近いかもしれません)
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
追伸、そんなサーシャがカンボジアのパーソナルツアーを行っています。上記に出てきたストレートな夢を彼の口からもう一度聞きたいという方は(笑)是非こちらまで。
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