裸で生活?うんちの家で暮らす?アフリカの真実

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SAWUBONA!!(サウボーナ!ズールー族の言葉でこんにちは!) 私はアフリカ専門のテレビ番組のコーディネーターというお仕事をしています。

一般的にあまり知られていない職業だと思いますが、NHKのドキュメンタリー番組や、「世界の果てまでイッテQ !」、「世界ウルルン滞在記」、「あいのり」や「どうぶつ奇想天外!」、そして、昨年行われた南アフリカのFIFAワールドカップなど、皆さんがテレビ番組を通して見てきたアフリカに私は深く関わっています。

テレビ局や制作会社が番組でアフリカに撮影に行きたいと思った時に、その場所で撮影を可能にするのがコーディネーターの役目です。その他、番組のスタイルや趣旨にあったロケーションを提案したり、新たに探したり、番組になりそうな内容をこちらから提案することもあります。プリプロダクション(ロケ出発まで)は各現場の撮影許可の申請、登場人物探しやアポ取り、情報収集などの作業があります。

そして、プロダクション中は撮影現場で問題なく撮影が進むように動き、インタビューがあればカメラの横で通訳もします。無事撮影が終わり、帰国後のポストプロダクションという作業では、編集中に必要になってくるテロップ(字幕)用の翻訳の手伝いや撮影した現地情報の提供など、幅広くお仕事をさせて頂いています。

 

うんちの家ではなく大きな家でした

Yamawaki はじめて南アフリカに引っ越した頃、まだ幼稚園年長生でした。東京の幼稚園の先生には「アフリカはみんな裸だよ。髪は細かい三つ編みを編んで、牛のうんちで作った家に住むんだよ!」と言われました……。今思うと、あの先生が言ったことは多くの日本人がイメージするアフリカだったのだと思いますが、子供なりに「裸で牛のうんちの家」に住むことに対してとても心配でした……。

成田から親戚に見送られ、母と弟と私の3人は1986年2月22日に南アフリカに向かいました。はじめての飛行機でしたが、雲の上を歩けると思っていたので、飛行機で突き抜けた時、ショックを受けた記憶があります。香港での乗り換え中、セキュリティーチェックで無愛想な女性に、私が抱えていた人形を取り上げられて大泣きしてしまった記憶も……。

そして、当時はまだ香港からヨハネスブルグの距離を一気に飛べなかったので、モーリシャスで給油ストップがありました。南アのエアラインは男性客室乗務員のゲイ率が高いと言われていますが、6歳の私が初めて会話をした南ア航空の男性スタッフもとてもやさしくてフェミニンなパンチパーマの白人のおじさまでした。母に教えてもらった英語、「オレンジジュースプリーズ」が朝食の時にしっかり通じたのが感激で記憶に残っています。

ヨハネスブルグのヤン・スマッツ空港(今のOR TAMBO空港)に到着し、先乗りしていた父に連れられて新居に。でも、そこには幼稚園の先生に言われていた裸の黒人はいなく、白人ばかり。そして、牛のうんちハウスに連れて行かれるとドキドキしていたら、日本じゃ考えられないくらい大きなおうちに着きました。丘の上に立つ、真っ白な家の玄関の外にはたくさんのバラが咲き、家の中に入って私は広い応接間で即転を何回もしました。

Yamawaki 全部自分が想像していたのと真逆な光景でした。当時日本人は「名誉白人」だったので、法律上白人と同じ待遇の生活でした。でも、同じ肌の色の中国人は「有色人種」として差別を受けていたのです。おかしな話しですよね。まだ子供だったので、目の前の光景に疑問を持つことはありませんでしたが、公共バス、公衆トイレ、レストラン、公園やビーチなどは白人専用で、有色人種の利用は規制されていました。国民の人口の8割である黒人が目に入らないところに追いやられ、動きを規制されて生きていたと思うと、やっぱり変な社会だったんだな、と改めて思います。

 

人を見た目で判断してはいけない。アパルトヘイト体験授業

私は近所にあったユダヤ教の学校に通いました。なぜユダヤ教?とよく訊かれます。「子どもは常に現地の学校に通わせる」という教育方針だった私の親の選択肢には、近所のカトリックとユダヤ教の私立校がありました。カトリック校の校長先生が東洋人を好まないようだったので、やさしい校長先生がいたユダヤ教の学校に小学1年生で入学することになりました。主に白人の生徒でしたが、在学の黒人生徒を通して、アフリカにはユダヤの黒人もいることを知りました。その学校では普通の教科に加え、必修のヘブライ語とアフリカーンス語を学びました。

グローバル力「言語」

 

Yamawaki ある朝の朝礼で、副校長先生が「今日はみんなに新しいルールで過ごしてもらいます。青い目と緑の目の生徒は茶色および黒い目の生徒と遊んではいけません。」と発表しました。その後の一日は、目の色が濃い(茶色と黒)生徒は授業中も優先され、やけにほめられ、休み時間にはアイスクリームをもらえたり、目の色が薄い生徒より長く遊べたり。それに引き換え、目の色が薄い生徒たちは、やたらと怒られ、休み時間に掃除をさせられて遊ぶ時間が短かったり、アイスクリームはもらえなかったりと、まったく逆の待遇でした。

子供なので、最初はいい気になって「や~い、アイスいいだろ~」とか青い目の友達を冷やかしたり、偉そうな態度を取ってみたりしましたが、帰宅前には、「なんで一緒に遊んじゃいけないの~」と泣いている生徒が私も含め多数いました。一日限りのこの「校則」をアパルトヘイトの「法律」に例え、学校は「見た目だけで人を差別してはいけない」ということを子供に教える体感授業だったのです。この授業はとても印象強く、一生忘れないと思います。

フローバル力「ふるまい」

 

アパルトヘイトが終わった今、南アフリカは黒人優先社会になり、各企業も社員を6割は黒人とアパルトヘイトの法律上有色人種と分類されていた人種を雇うことを義務づけられています。そのため、今、最も就職しやすいのは大卒の黒人の女性か障害者。一方白人にとって、特に白人男性は就職難を直面しているため、その多くは大学卒業後、海外に就職します。そのため、南アフリカでは医療やIT関係など多くの才能や技術が海外に出てしまって、じわじわと問題になってきています。

「名誉白人」であった日本人の私も、白人と同じ待遇なので、現代の南アフリカでは就職活動等の選考段階で有色人種と並んだ場合、優先順位が低くなってしまいます。例えば、私が大学で修士課程の奨学金を申し込んだとき、同じ成績の黒人の学生は私の10倍の研究費をもらえることを知りました。自腹では研究費と授業料が払えず、やむを得なく仕事を探すことになり、でもそこで運良く出会えたのが、今につながるテレビ番組でのアルバイトでした。

 

コーディネーターとして「虹の大陸」に必要なツール

アフリカと言っても、なんと54カ国もあり、大陸の面積は日本のおよそ80倍!日本にいる人種は日本人のみで、みんな日本語を話しますが、アフリカには黒人、白人、アジア系やアラブ系など色んな人種がいます。黒人だけでもバンツー系、ネグリロ系、エチオピア系やコイサン系の血筋があり、大陸の東西南北から一人ずつ選んで並べたら見た目もだいぶ違います。一カ国だけでも何十もの民族がいるように、すばらしい文化が数えきれないくらいあり、大陸全土で言えば何百もの言語があります。

Yamawaki 「アフリカ」というと、みんなケニアやタンザニアの壮大な草原に落ちる夕日とアカシアとキリンのシルエットなどイメージすると思いますが、それはアフリカの無限にある景色のほんの一部にすぎません。アフリカにはアルプスのような険しい雪山もあるし、熱帯雨林もあり、世界最大級の砂丘がある世界最古の砂漠や何百キロも続く暑い土漠もあり、森、湖、そして自給自足の田舎生活もあれば金曜の夜には若者はクラブで踊りまくり、携帯やICカードが当たり前の大都会もあり、とにかく想像以上に多様性に溢れています。

反アパルトヘイト活動で有名だったデズモンド・トゥトゥ大司教が、南アフリカを「虹の国」と例えました。そしてネルソン・マンデラ氏も大統領に就任したばかりの頃のスピーチで、南アフリカを「虹の国」と表現し、RAINBOW NATIONが多様多彩な南アフリカを表現するのによく使われるようになりましたが、南アフリカが虹の国ならアフリカは虹の大陸になります。

こんなカラフルな大陸で、広域に渡って通用するアフリカ専門のコーディネーターとして最も必要なツールと言えば、アフリカの知識や言語力そのものよりも、様々な文化、宗教、言語、習慣、環境に対する順応性と対応力が挙げられます。

グローバル力「教養」

 

Yamawaki 西アフリカの撮影現場ではADさんが撮影中に悪霊に取り憑かれたり、オカバンゴデルタで野鳥の撮影ポイントを準備していたらワニに追っかけられたり(ワニ、足速いの!)、チョベ国立公園でベースキャンプのテントが急に発生した竜巻に飲まれたり、キリマンジャロで一番慣れているはずのポーターが高山病で倒れたり、デモを撮影していたら空からマットレスが降ってきたり……と、アフリカで予想外はつきもの。

それからとっても大事なのはコミュニケーションを取りたいという意欲だと思います。先進国とは異なり、ネイティブな英語力がアフリカでは時に邪魔に感じることさえあり、英語圏でも田舎では文章ではなく単語を並べた様な話し方をすることもあります。外国人が立ち入ったことのないような田舎の村で、何度笑顔とボディジェスチャーや擬音に助けられたことか。グローバル力っていかにどこに行っても通じ合えるか、が大事なんじゃないでしょうか?以前、ウガンダのヨウェリ・ムセベニ大統領にインタビューでお目にかかった時に言われたことが一生忘れません。

「君はとても美しい英語を話す。でも、世界で最も話されている言語は、君のような流暢な英語でもフランス語でもない。私たちアフリカ人が話すようなBROKEN ENGLISH(ブロークンイングリッシュ=片言英語)だよ」。なるほど!確かに!私の母もずっと片言の英語で私たちを海外で育ててくれましたが、「英語なんてアバウトでいいの!通じることが一番大事なんだから。」といつも言っていました。

Yamawaki 私は学生の時にアルバイトで日本人に英語を、そして現地人に日本語を教えていましたが、どちらも文法にこだわらず単語を並べて会話をしようとする生徒の方が遥かに会話の上達が早く、現地で役立てていました。つたなくても自力で通じると百倍楽しくなります!私も行く取材先の民族の言葉はその場で少し覚え、ボディジェスチャーと混ぜて躊躇せず使います。もちろん細かい話は地元の通訳の方にお願いしますが、自分がその人たちと直接コミュニケーションを取ろうとしている姿勢を地元の人たちに理解してもらうことが大事。それがコミュニケーションの第一歩!そしてそれが出来れば人はどこにでも行けるし、そこから人との出会いや初めて訪れた土地で感じたことなどから自分の持っている感覚が更に広がっていき、磨かれ、更に興味が広がる。そしてその繰り返し。私の中でのグローバルな人って英検1級を持っているより、限りなくそのようなことを重ねてしてきた人のこと言うんじゃないかなと思います。

<了>  

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