東大からMITへ。小石と夢の行方。

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呑み込めなかった小石

僕は大学を卒業した後、22歳で渡米し、マサチューセッツ工科大学(MIT)の航空宇宙工学科で修士・博士を取る道を進んだ。僕をこの道へ連れ出したのは、少々物分りが悪い性格と、あるひとつの幸運な出会いだった。

 

その出会いがあった学部四年生の頃まで、僕は学位留学という選択肢を考えもしなかった。意志が無かったのではない。ただ、選択肢の存在を知らなかったのだ。周囲に前例が誰もいなかったから、一介の学生として正規留学する道があるなんて知りもしなかった。だから僕は、宇宙への夢と、漠然とした海外への興味を持て余しつつ、バイトをし、飲み会で騒ぎ、テニスに耽り、他の多くの人と大差のない大学生活を、さしたる疑問もなく送っていた。卒業後は九割の友達がそうするように、僕もそのまま大学院へ進み、修士まで出てどこかの会社へ就職するのだろうと思っていた。宇宙が好きだったから、JAXAか人工衛星メーカーにでも行ければ大成功だと思っていた。

Ono

しかし、何か小さな違和感を常に感じていた。その違和感は小石のようなもので、僕を突き動かすには軽すぎたけれども、かといって口に入れて呑み込んでしまうには固すぎた。

その違和感とは、一体何だったのだろうか。

 

グローバル力「教養」

 

夢と憧れと現実と倦怠

僕は物心が付いた頃から宇宙が好きだった。父親が大学時代に天文部で、毎週末に自作の天体望遠鏡で星を眺めているような人だったのだが、彼があまりに楽しそうに夜空を眺めているから、僕にもちょっと見せてよと背伸びして望遠鏡を覗き込んだ。そしてその丸い視野の中に浮かんでいた凸凹の月や輪を携えた土星、尾を引く箒星の映像が、焼印を押したように僕の脳の奥深くに刻み込まれたのだった。

そして僕はそのまま成長した。大学の専門はもちろん航空宇宙工学を選んだ。学生が手作りで人工衛星を作る研究室に加わり、プロジェクトに没頭した。徹夜で作業をしていても、自分が今作っている回路やプログラムが本当に宇宙を飛ぶのだと思うと興奮で目が覚醒した。既に打ち上がっている衛星と交信するときには、宇宙からの電波を今自分の耳で聞いているのだという実感に身震いした。大学の薄汚い実験室に篭りながら、幼い頃に夢見た燦然と輝く光の世界へ、ドアを一枚、一枚開けて近づいているのだという充実感が僕の体に溢れていた。

僕の夢は宇宙にあった一方で、将来のことを思うとき、憧れたのはヒーローたちの生き様だった。幼稚園の頃は人並みに戦隊モノやアニメのヒーローに憧れた。小学校の文集に、周りの男の子たちがサッカー選手になりたいなどと書く中で「ノーベル物理学賞を取りたい」と書いた僕は少し特殊だったのだろうが、「ヒーロー」の定義が違っただけだったのだと思う。中高の頃はロックミュージシャンに憧れ、文化祭でギターを弾き、こっそり曲を書いたりもした。

僕は科学と同じくらい文学が好きなのだが、ありふれた男女の切ない恋慕の情をなよなよとした心理描写で書き連ねる作品よりも、「坂の上の雲」「三国志」「ガリア戦記」そんな力強い魂を持ったヒーローの志を追う作品を好んだ。そして宇宙開発の歴史はヒーローにあふれていた。はじめて宇宙を飛んだガガーリン。はじめて月に足跡を残したアームストロング。ロケット工学の礎を築いたゴダート。そして月ロケットを開発したフォン・ブラウン。彼らの生き様はカッコよかった。自由だった。妥協せずに生きていた。だから僕も彼らのように生きたかった。チケットを買って客席に座る一万人の中の一人としてよりも、ステージの上でスポットライトを浴びて歌い踊る主役として生きたかった。動物園で餌を与えられて飼われるよりも、草原で獲物を狩って生きたかった。カタログから選ぶような人生よりも、伝記に書かれる人生を生きたかった。そして死ぬときには、墓石に名を残すよりも、成した業績で名を残したかった。

しかし、大学生活も後半になり、一緒にバンドをやっていた友人たちが髪を黒く染め直してOB訪問などを始める頃になると、今まで「夢を抱け、志を持て」と僕に散々教え込んできた社会は、掌を返したように現実的な将来設計を迫った。そして東大理系学生にとっての現実とは、九割の友達がそうするように、修士まで出て大手に就職することなのだという暗黙の了解があった。Ono だから僕も修士課程の入学試験の勉強をしつつ、学科推薦枠のある企業のリストをなんとなく眺めながら、このどこかへ行くのかな、と漠然と考えていた。そうしたいからその道を選ぶのではなく、他の道を選ぶ理由がさしてないからそう思っていただけなのだけれども、かといってそんな未来に具体的な不満があるわけではなかった。ただ、僕は恐らく他の人と比べて少し物分りが悪く、自分を周囲に適合させるのが苦手だった。だから僕の喉には、幼い頃の情熱の燃えかすが小石のような違和感として、呑み込みきれずにつっかえ続けていた。それは「自分の人生を設計すること」がいつの間にか「会社を選ぶこと」に置き換えられることへの違和感だった。「夢を現実にすること」が、いつの間にか「現実に夢を合わせること」にすりかえられることへの違和感だった。

 

■吐き捨てた小石

そんな倦怠の最中に、僕はその人と出会った。彼は東大の同じ研究室の先輩で、学部卒業後にMITの航空宇宙工学科に留学して修士を取り、当時は博士課程にいた。休暇で日本に帰省中に研究発表をするために東大に帰って来ていたのだった。彼の研究内容は難しくてよく理解できなかったが、彼が僕よりもずっと大きな世界で、ずっと自由に知的好奇心を追求して生きていることはよく分かった。彼が進んでいる道のほうが、自分が進もうとしている道よりも、過去に自分が憧れた生き方にずっと近いように思えた。にもかかわらず、彼はたった数年前まで僕と同じ大学の、同じ学部の、同じ研究室にいた普通の学生だったのだ。「彼にできるなら、僕にだってできるはずだ。」そう思った時、消えかけていた情熱に再び火が灯ったのを、僕は確かに感じた。

Ono彼は研究発表が終わった後、先生や研究室のメンバーと夕食に行くというので、僕も一緒に付いて行ってちゃっかりと彼の隣の席に座った。そして僕は彼を質問攻めにした。どうやったらMITに入れるのか。どうやったら高い学費を払えるのか。どうやったら英語が上手くなるのか。彼から返ってくる答えのひとつひとつに、僕は目から鱗が一枚、一枚と剥がれ落ちた。空一面を覆っていた暗雲が割れ、光がぱっと差し込んだ感覚だった。そしてその光の下に照らされていたのは、友達と一緒に歩いてきた大通りとは違う、今までは見えていなかった細い道の入り口だった。その道の標識にはこう書いてあった。

「MITへ行って、NASAで宇宙開発に携わる。」

僕は、呑み込みかけていた小石をペッと吐き捨てて、その細い道を無心に駆け出したのだった。

 

夢の続き

その先輩がその後も非常に親切に出願方法などを指導してくれたおかげで、僕は夢の半分を叶え、MITへ入学した。しかしそこからが大変だった。英語や文化の差に苦しみ、友達が思うようにできず、ディスカッションでは他の生徒から相手にすらされなかった。友達を作ろうと飲み会へ行っても誰ともまともに話すことができず、敗北感にまみれて一人で部屋に戻るときの辛さといったらなかった。アメリカの大学院では学生は先生にResearch Assistant (RA)として雇ってもらい学費をカバーするのだが、僕を雇ってくれる先生はなかなか見つからなかった。自分のことで手一杯になっている間に、日本に残してきた彼女との遠距離恋愛も終わってしまった。そうして、僕が留学前に持っていた自信はみるみる失われてしまった。

しかしたとえ辛くとも、それが夢を追うことの代償ならば、夢を妥協して違和感を無理やり呑み込むよりもよほど我慢できた。だから僕は泥臭く頑張った。ディスカッションでは他の生徒にかなわないから、プログラミングや数学で他の生徒を出し抜こうと努力した。授業で先生にアピールするために、たとえ既に知っていることでも知らないフリをして手を挙げ質問した。RAを出すお金がないと先生に拒まれたときは、お金はいらないから研究室で働かせてくれと食い下がり、研究課題をもらった。それで結果を出せば、次にRAのポジションが空いた時にきっと自分に回ってくるだろうという魂胆だった。(この頃の体験は月刊『留学交流』へ寄稿した「レンガを積むが如く」に詳しく書いたので参考にされたい:http://onomasahiro.net/tsurezure/665

そうした努力の甲斐あって、半年間彷徨った挙句に宇宙ロボティクスを研究している先生に雇ってもらうことができた。修士の研究では、宇宙太陽光発電所など大規模宇宙構造物を組み立てるためのロボットの制御の実証実験を行った。博士からは研究室を移籍し、無人の宇宙船や飛行機を安全に航行させるための人工知能・自動制御の研究を行っている。もちろん日々の研究は楽しいことばかりではないが、自分の力で地を蹴り前に向かって這っているのだという感覚が確かにある。そして自分が這っていく行く先には、NASAへ行くという、夢のもう半分があるのだ。だから僕がこの道を選んだことへの後悔は一切ない。昔憧れたヒーローたちのように自由に生きているのだという陶酔感すらある。もし22歳に戻っても、僕は迷い無くもう一度この道を選ぶだろう。つくづく、僕は出会いに恵まれた幸運に感謝した。

Ono

<次ページへ続く>

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