成長を求め、シンガポール現地採用へ

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2010年は自身にとって開国の年となりました。

2010年11月からシンガポールに来て、現在は日系メーカーで電子部品の営業をしています。電子部品と言ってもひじょうにバラエティに富んでいて、電子機器に使われる抵抗やコンデンサ、センサー、操作スイッチ、記憶デバイス、コンプレッサ、モーター、電池など多岐に渡ります。

シンガポールを中心とする東南アジアのエリアでは、電化製品の需要が右肩上がりで増大しています。これらの商売は競合が激しい状況ではありますが、品質と技術の特徴を強みとして売り込むことで地域社会の発展を目指しています。この仕事の興味深いところは、1)ダイナミックさと、2)メーカーでありながら他社競合メーカーと商売ができるという点です。

 

ダイナミックさといえば、担当エリアの広さです。もちろん一人で担当しているエリアは限られますが、チーム全体ではASEAN地域、南アジア、中央アジア、中東諸国、北アフリカ、オセアニアとなります。

文化、習慣、時差、言語、経済、政治情勢は国や地域によって多様ですが、それぞれに対応・精通する必要があります。日本語と少しの英語しかできない自身にとっては言語の多様性も大きなインパクトです。

市場環境や特性も、歴史や政情も踏まえてそれぞれ大きく異なります。特にASEAN地域に限ってみても、シンガポールのように英語を公用語としてビジネスも都市インフラも発展させている国、インドネシアのように2億人以上の人口を抱え市場としての益々の発展を期待される国、タイのように世界の工場として日系も含め多くの製造業が拠点を抱え経済を発展させている国、それぞれ状況は様々です。付加価値重視のマーケットが大きい国や価格重視のマーケットがほとんどの国、また人種によっても異なります。

ASEANに関して総じて言えることは、現在進行形で「成長」、「勢い」を感じるということです。この環境は自身にとってたまらなく楽しいです。

現職での取引先と言えば、他社メーカー、時には競合メーカーとなります。相手側の担当者もマーケティング、開発エンジニア、コミュニケーション、購買、またはトップマネジメントの方々と多様です。これらの方々と会話しながら、他社メーカーブランドの新たな製品を生み出していくことが仕事です。日本でもB2Bビジネスばかり経験してきたのですが、製品開発のエンジニアやマーケティングの方々と仕事をする機会はほぼ皆無であったため、新鮮かつ刺激的な環境です。

 

本業以外でも、サッカーを通じてシンガポールの環境を満喫しています。日本と比べても極端に国土が狭いシンガポールですが、プレーヤーとしてサッカーを楽しむ環境はとても恵まれていると感じます。自身も、日曜日には日本人チームに参加して欧米人チームやマレー人チームと対戦し(日本代表としてプレーしている気分です)、土曜日には10カ国以上の異なる国籍のメンバーで構成するマルチナショナルチームでプレーしています。

草サッカーもキレイな天然芝でプレーできちゃいます

グラウンドは公立学校も含めて天然または人工の芝生グラウンドが数多く、試合をマッチメイクするリーグも民間企業で柔軟な運営をしています。最近ではシンガポール協会管轄のリーグに所属しているチームにも、人生初めての外国人枠として参加してプレーしています。とても不思議な感じがしますが、日本では経験したことが無かった環境です。

 

上記のようなシンガポール生活を送り始める前までは、当たり前のごとく日本で仕事をしていました。兵庫県で生まれ育ち、大阪の大学、東京の大学院を卒業して、東京の会社で働くといういかにも海外とは関係が無い人生を歩んできました。

しかし、実際は高校生の時から海外で生活してみたいという願望がありました。特に、2009年頃からはアジアの経済成長に注目するようになり、中国やASEANの経済ニュースを見るたびに、興味をかきたてられるという経験が増えていました。

シンガポールに来る最後の一押しとなったきっかけは、2010年6月末に参加した未来について考えることをテーマとした講演会でした。某企業代表者による30年後の未来に関する推察の入念さに影響され、自身でも未来のことを真剣に考えるようになりました。特に自身の未来のことについて改めて真剣に考える中で、「海外での就学や就業に興味がある」にも関わらず、何も具体的な行動を起こしていないことに改めて気づきました。

高校時代からもう10年以上も海外に興味だけ持ち続け、何かを待っているかのように自身からは動き出していなかったのですから、この気づいたタイミングで何か行動を起こさなければもうチャンスはないだろうと感じました。

 

まずは現地に行ってみないと何も始まらないと考えました。そして、特にアジアの国に興味があったため、翌日すぐにシンガポールと上海への旅行の計画を立てました。講演会から約3週間後には両方の現地を訪れ、特にシンガポールの成長性や多様性に強く惹かれていました。

それと同時に、自身の中で3年後、5年後、10年後を想像してみたときに、今が行動を起こすにはベストなタイミングであり、これを逃すとこの海外への思いは叶わずこのままで終わるだろうと考えました。

しかし、今から当時の職場、または他の日本にある会社に入って、海外転勤を希望しても、希望通りの場所に希望通りのタイミングで行くことができる可能性は高くないだろうと察し、現地での直接採用の可能性を目指すことにしました。

 

また、この時に海外留学を考えなかったのは、大学院の時に海外留学のプロセスを調べたことがあり、ある程度の準備時間が必要になることを知っていたためです。この行動を起こすタイミングとして、今が重要だと強く感じていました。

一方、時間とタイミングを重視しつつ、周囲のいろんな方々からのアドバイスや情報収集も大切にしたいと考えていました。実際に、この時に周囲の方々から受けたアドバイスや自身の考えを聞いてもらうことができたことが、行動を起こすか否かの貴重な意思決定要因にもなりました。

 

1ヵ月半後には、面接のために改めてシンガポールへ来ていました。この時に、新たな地で働き始めることへの心構えや能力的な準備ができていたかというと、まだまだ準備不足が否めない状況であったと今となっては思います。

ただ、勢いだけはありました。

動き始めたからには何としてでも前に進まなければならないという思いは強くありました。面接ではコミュニケーションに苦労しました。シンガポール人のしゃべる英語のスピードがとても早いと感じたため、面接では何度も質問を聞き直しましたし、質問や会話がとても直接的かつ結論を求める内容のため、回答に困る場面も多くありました。

ある面接では、上述のように会話がスムーズにかみ合わず、予定の1時間程度を大幅にオーバーして3時間にも及ぶこともありました。結果的には、約1週間の滞在期間中に日系、欧米系含めいくつかの企業の面接を受けた中、運良く滞在中にオファーを受けた現職の会社に行くことを決めました。

 

それからシンガポールでの就業開始までは約1ヵ月の期間があり、日本に帰国してからは移住の準備となりました。

それまで海外旅行に行く度に、「海外と言っても飛行機に乗ったらすぐに行ける上に、情報もインターネットやメールを通じて簡単にやり取りできるので、国内旅行とさほど変わらない」と思っていましたが、初めて外国に行ったときのように何か遠くに行くような気がしました。

また、本格的に準備を始めてからというもの、保険や年金の手続きのために区・市役所へ行ったことや各種金融サービス等の手続き変更などを通じて、改めて日本での仕組みを知ることが多くあり、これからそのような日本での守られた環境が無くなるのかと思うと不安も多くありました。

 

不安は自身のことだけではなく、家族のことについても気がかりでした。今の家内には、当時の東京での仕事・生活があったにも関わらず、シンガポールへ行くことについては、「自分のやりたかったことにチャレンジできることが幸せだし、応援したい。」と快く賛成してもらいました。

人には見せなかったですが、家内にとっては、シンガポールでまた一から生活の基礎を築くとなると、どうすれば良いのか分からないという大きな不安があったと思います。自身は少なくとも職場が決まっているため、シンガポールに行ってからの拠り所がありましたが、彼女自身にはありませんでした。

シンガポールでは住居費などの生活費がかさむため、高収入のポジションで無い限り、夫婦共働きが一般的であることも伝えていましたので、日本でしか生活をしたことがなく、英語も苦手な彼女にとって、正気では受け入れがたい状況であったと察します。

今では、シンガポールでの仕事も自ら見つけ、一緒に家計を支えてくれています。彼女の協力が無ければ、シンガポール行きの決断はできていなかったでしょうし、さらには今の生活も成り立ちません。感謝していますし、彼女の挑戦も応援しています。

 

シンガポールに来てからは仕事やサッカー、さらには新たな生活環境の整備などに慌しい日が続きましたが、かれこれ1年が経ちました。

シンガポールへ来る前は、自分自身を周囲の人と比較することが多く、自身のことよりも他人のことが気になるという価値観が強かったと思います。

それが自身を燃え上がらせる競争心となり、自身を動機付けする重要な要因ではありました。しかし、シンガポールに来てからは、自身がどう考えるか、自身がどうするか、ということに以前よりも重きを置くようになりました。

その理由の一つは、仕事でもプライベートでも自身の意見や考えを求められる機会が多く、しかも英語では毎回自身の意見をサポートする理由を述べる必要があるということ、もう一つは、多様な民族や価値観が存在するシンガポールで、これらの多様性を受け入れることはもちろんのこと、その中で自身の存在と価値を主張する必要があるという環境だからです。

「日本人だから」という保護も特別待遇もなく、逆に外国人だからということでの不利なことがあります。ただ、このような環境が自身の新たな価値観を磨いてくれていると感謝しています。

 

「開国ジャパン」でも定義されているように、異文化間での相互理解を深めつつ、国際社会での競争力を高めるためには、言語力は当然のことながら多岐に渡る能力が必要、または何かに特に秀でた能力が必要だと感じています。

言語はもちろん必要です。シンガポールにいると、公用語の英語ができることはもちろん必要ですが、中国語も必要だと感じています。現在の職場では、上司もさらに上司もシンガポール人であり、英語で言いたいことが言えて、必要なことが聞き取れることも重要ですが、さらに本音を話すには彼らに最も快適な言語である中国語が必要だと感じています(上司は福建の方言ですが)。

一方で、言語がそれほどできなくても、新たなコミュニティで戦っていくこともできると感じています。自身の経験でも、現在参加しているサッカーのマルチナショナルチームで、初めて参加した試合のことを覚えています。試合前は新しい日本人が来たとくらいしか思われていなく、誰も話しかけてもくれないし、自身から話しかけてもあまり聞き取れず話が進まずでしたが、試合が始まり先発のメンバーが怪我をしたため、途中出場することになり、フィールドでパフォーマンスを見せてからは、みんなから名前も呼んでもらえ、頼ってくれるようになりました。

言語は一つの方法ではあると思いますが、それ以外の方法でも自身を他人の前で表現することが重要なことなのだと感じました。同時に、これまで日本にしかいなかった自身は、日本語という言語に頼ってばかりだったのだと認識しました。

現在の上司と1年を振り返ったレビューミーティングをした際、自身の強みについて「PIA」というアルファベット3文字で表現してくれました。周囲の人や環境、新たな課題に対して、熱い情熱(Passion)と誠実さ(Integrity)を持って取り組み、今の態度・姿勢(Attitude)を忘れるな、と。まだまだ開国したばかり、これから新たな課題や収穫が楽しみです。


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