バンコクマダム録(4) タイ式洗礼付き、バンコク新居探し
家探しという名の、新居探し!
しかも、一緒に海外暮らしを夢見ていたダーリンと、海外で!
奇しくも場所が、農耕牧畜(当時の私のイメージ)なタイである点には、目をつぶるとして・・・。
でも、あぁ、夢って、本当にアッサリ叶ったりするものなんだなぁ。
新婚なにの、一緒に暮らすこともできなかった私達が、初めて一緒に何かできる!
だから、農耕牧畜なタイ(何度も言いますが、当時の私のイメージ)でも、お腹痛くなるタイでも、がんばって行くんだ!
そう思いながら一時渡航に渡ったのは、雨季に入り始めた、2006年5月のバンコク。
旦那さんが教えてくれた、バンコクの日系不動産屋さんのHPを見て、事前リサーチ。
うわー。王様みたいな素敵なお家がいっぱい。
わくわく!
週末を使って、土曜日と日曜日それぞれに、別な2件の日系不動産屋さんの予約を入れて、家探しならぬ、新居探しに行った。
土曜日の朝。
「おはようございま~す」と、日本人女性スタッフ・・・というと爽やかな香りがするが、わかりやすく表現させていただくと、いわゆる「日本のおばちゃん」が、ホテルまでお迎えに来てくれた。
で、そこでまずビックリした。
ススススス、スーツ用のタイトスカートに、ビーーーサン・・・・・!
いわゆるビーチサンダル・・・・・!!しかもボロボロ・・・・・!!!
実際バンコクに住んでみると、後々そんなのにはどんどん見慣れて行ってしまうのだが、いわゆるタイ人ファッション。
それを見慣れたことによって、日本人でも長く住むようになると、同じような格好をするようになるらしい。
が、20代真っ只中、オシャレもメークも大好きだったの当時の私には、それはとても衝撃的な姿だった。
しかも、お部屋を案内してもらっている間に鳴る、ケータイ電話へのクレームコールの嵐、嵐、嵐!!!
電話は鳴りっぱなし。話しっぱなし。
私達といた時間の、半分は電話していたような印象になるくらい。
どう聞こえてもクレームの電話なのだけど、そのビーサンスーツさん(失礼。)は謝るでもなく、
「いやぁ、まぁ、それはこれでカクカクシカジカ・・・」
と説明なのか抗議なのか、何食わぬ顔でケロッと話している。
あれ??この人、日本人だよね??
その対応、日本じゃありえないよ~!
聞こえる通話内容から察するに、電話口の相手、相当困っているでしょ~、、、
で、その電話が途切れたときに、聞いてみた。
私 「バンコクでお部屋借りるって、そんなにトラブルあるんですか・・・?」
女性 「まぁ、あって普通、ですよね。」
答えたーーーー!!!やっぱりケロッとした顔で答えたーーーーー!!!
女性 「こんなの全部受け止めて聞いて答えてたら、こっちも持ちませんからねっ。アハハッ」
ちーーーーーーーーーーん・・・・・・・・・・・・。
まじですかーーーーーー!!!
バンコクってそんなとこなんですかーーーーーー!!!
ここの不動産屋さんって、そんなんなんですかーーーーーーーー!!!
正直、その日に見せてもらった家と言えば。
ビーサンスーツさん(仮名)のタイ式ファッションとタイ式仕事術の印象が強すぎて、もうそれ以上のことは覚えていない。
思えばこれが、私が初めて見た、タイ化した日本人だった。
私は「こうはならないぞ!」と、密かに心に誓ったことは、言うまでも無い。
午前中早々にお部屋探しを終えたら、バンコクの街を見に出かけた。
旦那さんに、日本人の住むエリアを案内してもらう。
そこで日本人の多いエリアの中心に位置する高級デパート「エンポリエム」へ。
写真は、初めてエンポリアムに来た時のわたし。
上階のフードコートでお昼ご飯。
旦那さんのトムヤムラーメンを一口もらったけど、辛すぎて全然食べられなかった。
(写真はピサヌローク風)
夜はタイ舞踊を見ながら、タイ宮廷料理なるものを食べた。
あら!タイ料理って辛くないのもあって、美味しいのね!と思い、パクパクパク。
そんな明くる朝。
「うぅぅっ。きもちわるい・・・・・ももも、もたれてる・・・これが胃もたれってやつか・・・!こんなにくるしいのは初めてだ・・・・・うぅぅ・・・・」
うっかりタイ料理の洗礼を受ける。
「美味しいから」と、パクパク食べた初めてのタイ料理で、お腹を壊す日本人は珍しくない。
「もうタイ料理なんか食べない」と、タイに来て2つめの誓いを立てた朝だった。
タイはお腹が痛くなる国じゃなかった。気持ち悪くなる国だった。
日本から持ってきた太田胃酸様のお世話になり、しばらく休養して復活。
昨日とは違う不動産屋さんに、今日は案内してもらう。
そこは当時バンコクに支店を開けることになったばかりの、日系不動産会社。
何の実績もないが、何のしがらみもなく、もちろん営業中にクレームの電話が鳴ることもない。
支店長自ら、日本語ペラペラのタイ人スタッフと2人で案内してくれた。
しかもその支店長は私と大学が同窓であり、旦那さんとは駐在員として同期であることが判明し、意気投合。
案内中、偶然バンコク名物マンゴーレインに会い、洪水状態の道をクルマで進みながら、きゃっきゃ言ってみんなで写真を撮った。
そのときの写真。
ちなみにマンゴーレインとは、雨季に入る5月に起きやすい、洪水になるほどの大雨のこと。
この恵みの雨によって、雨季の美味しいマンゴーができることから、マンゴーレインと呼ばれるとか。(とはいってもタイ語ではないので、そう呼ぶのは外国人だけだと思う。)
雨季の抜ける秋頃も大雨が起きやすいけど、それもマンゴーレインなのかな?
ちなみにこの洪水は、街の灌漑設備がちゃんと整っていないことで、一時的な大雨によって、一時的に起こるもの。
このお水は排水を含んだ汚水なので、慣れない外国人がウッカリ足を浸すと、皮膚がかぶれます。(でもタイの塗り薬で、すぐ治るらしい。)
この水が引かない状態になってしまったのが、この前の大洪水です。
もともとの灌漑設備の悪さも、多分に影響していると思います。
そんなわけで、自然と不動産会社はココに決定。
(当時の支店長さんが開いたこの不動産屋さんのバンコク支店は、今ではバンコクの中でも大所帯で、立派な不動産屋さんです。)
しかし残念ながら、私がいた数日の間には、家は決められず。
けっきょく旦那さんが不動産屋さんに案内してもらいながら、わたしに写真を送りつつ相談・・・という形で、やっと6月に、2人の新居が決定!
実際住んでいたお家のリビングです。こんな写真しか残ってなかった。
当時の駐在では珍しく、79㎡と狭めのお家です。築2年・入居2世帯目で、ちょうどいい新しさ!
できたてほやほやの新築1年目だと、思わぬほころびが多数出て来てメンテナンスをするのが大変だけど、1世帯誰か入ってくれた後の2世帯目だと、諸々メンテナンスも終わってて、設備も新しく、住むのにちょうど良いと言われています。
そのお家は、日本人駐在員はもちろんのこと、多くの外国人が居住し、BTSスカイトレインも並走して走っている、スクンビットというエリア。
日本人が一番多いプロンポン駅から2つ目の、エカマイ駅が最寄り駅。
BTSスカイトレインの駅をプロンポンから挙げると、
プロンポン ~ トンロー ~ エカマイ ~ プラカノン ~ オンヌット(当時の終点駅)
ちなみにプロンポン寄りの方がサイアムという中心地に近くなるので、より栄えています。
つまりエカマイは、2006年当時のBTSスカイトレイン終点の駅から数えて2つ目。
ギリギリ電車が走ってて良かったね、と言えなくもないような場所。
西洋人やハイソなタイ人こそ多くいるものの、日本人はまだ30%くらいしかいなかったのです。
しかも最寄と言っても、駅までけっこう距離があった。
(徒歩だと20分、コンドミニアムのトゥクトゥクサービスを利用して10分)
当時はそんなエリアに住むことになってちょっと心配したけれど、慣れたら日本人がほとんどいない、閑静な住宅街であるエカマイのエリアがすごく気に行って、居心地が良くなりました。
ちなみに現在のエカマイは開発が進み、当時の静けさはほとんどなく、日本人もかなり増えています。
実際便利だし、わたし自身、バンコクに住むならオススメのエリアです。
しかし最近では、その隣のプラカノン~オンヌット周辺が当時のエカマイのような雰囲気なので、こちらもかなりオススメ。
3月の旦那さんの渡タイから、6月にやっと決まった新居に、やっと7月の入居が決定・・・!
・・・旦那さんだけで。
住んでいた通りに咲くお花。
緑豊かな通りでした。
例の3カ月間の帯同待機期間はもう過ぎる時期でしたが、
「お盆はまた日本に帰るし、体調も落ち着かないだろうし、お盆明けてから来れば」
という鶴の声ならぬ旦那さんの気遣いの一言で、基本的に従う派のわたしは、
「わかったぁ」
と、渡航日をお盆明けてからの9月1日に設定。
結果、約6カ月という、本当に長い長い別居期間=帯同待機期間になりました。
1人、日本で結婚式の準備をするには、ちょうどよかったですけどね。
実際の渡タイまでのお話が、これまでの第4稿と長く続きました。
次稿、ついにタイに渡ります!
ここからが本当にバンコクマダム録ですよ~♪ こうご期待です。
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